コードを1行も書いてない俺は、サイトの作者なのか

今、自分の中で最高傑作だと思っているのが、FROM ITEM ARCHIVEだ。FromSoftware作品にまつわる商品を集めた、非公式のアーカイブサイトである。コンセプトも世界観も気に入っていて、見せ方のディレクションにはかなり関わってきた。その一方で、ふと引っかかることがある。
「あ、私、一行もコーディングしてないんだけど」
作った実感はある。でも、自分が打っていたのはコードではなく、ほとんど相談と指示だった。嬉しさの横に、少しの後ろめたさがあった。これは、自分の作品と呼んでよいのだろうか。
最初のアイデアまで、AIに頼んでいた
きっかけは、海外向けのギフトサイトを試作したことだった。以前に女性向けの転職サイトを作った経験もあり、一、二日で形にするコツをつかんだ気がしていた。まだ調整中とはいえ、前には作れなかったものが目の前にある。
ただ、実装したのはAIだ。別のネタ系サイトでは、「面白いコンセプトを出して」と、最初のアイデアさえAIに頼んでいる。自分がゼロから全部考えた、と言うつもりもない。
それなら、私は何をしたのか。
返ってきた案から一つを選び、ばらばらだった見せ方をまとめ、一つのサイトとして通るように方向を伝えた。何を採り、何を捨てるかを、完成まで選び続けていた。
「それは違う」と言ったところに、自分の仕事があった
ギフトサイトの初期案にも、そのままでは納得できない箇所があった。文章を並べただけに感じるページや、最初の画面に何を置くのかが気になる部分だ。
そこで、画像をどこに置くか、どんな場面を見せるか、全体のトーンとどう合わせるかを伝え直した。見る人がどの順番で情報を受け取るかも考え、修正を求めた。
コードを書いていないことは変わらない。それでも、完成品を受け取って終わりではなかった。出てきたものを見て、自分の狙いと違うところを見つけ、次の形を決めていた。

対話の中で出た、映画監督の比喩には少し納得した。全部を自分の手で作らなくても、何を見せ、どこを直し、どの形で仕上げるかに関わる仕事はある。
監督と同じ力量だと言いたいわけではない。ただ、手を動かした量だけでは、自分の関わり方を説明しきれないと気づいた。
AIが書いたことも、自分が決めたことも隠さない
とはいえ、「私が作った」とだけ言えば、HTMLやCSSまで自分で書いたと思われるかもしれない。AIが実装したコードを、自分が書いたように見せるのは違う。
今なら、「コンセプト、画面の順序、修正判断を担当し、実装にはAIを使った」と説明したい。最初の案もAIに出してもらったなら、そこもそのまま話せばよい。
ポートフォリオにも、完成画面に加えて、採らなかった案や直した理由を添えたい。画像の位置をなぜ変えたのか。情報の順序をなぜ組み替えたのか。その過程があれば、自分がどこで判断したかが伝わる。

人に見せる形を選んだ以上、気に入った部分だけを自分の成果にするわけにもいかない。変なところが残っていれば、それも含めて自分が採用したものだ。「AIがそう出したから」で済ませたくはない。
自分が決めたことを、作品と一緒に話したい
作者かどうかを一語で決着させるより、このサイトで自分が何を決めたかを説明する。そのほうが、今の自分にはしっくりくる。
コードはAIが書いた。私は案を選び、見せ方を考え、違和感を直すように頼んだ。その両方があって、気に入ったサイトになった。
「一行も書いていない」は、隠さなくてよい事実だと思う。次にこのサイトを見せるときは、完成した画面と一緒に、どこを自分で決めたのかも話したい。